菊池風磨の知られざる学歴と葛藤。偏差値68の進学校で彼が流した涙と、慶應ダブル合格を掴んだ「猛勉強の真実」
菊池 風 磨 高校時代、彼は単なるアイドルではなかった。東京都市大学等々力高等学校という都内屈指の進学校に通いながら、芸能活動と学業の過酷な両立に挑んでいた若き日の葛藤は、現在の彼のマルチな活躍の原点となっている。
当時の同級生や教員たちの証言を紐解くと、菊池 風 磨 高校時代の彼は、きらびやかなステージの裏でボロボロになりながらも机に向かう、一人の泥臭い受験生だったことが浮かび上がってくる。
偏差値68の難関校・都市大等々力でのリアルな学生生活

東京・世田谷区にある東京都市大学等々力高等学校。近年でこそ共学の人気進学校として名高いが、菊池が在籍していた当時は男子校から共学化への過渡期であり、校風も非常に厳格だった。偏差値は68に達し、国公立大や難関私立大への進学実績を急激に伸ばしていた時期である。
朝の小テストから始まり、放課後の補習までスケジュールはびっしり。そんな環境に、菊池は一般受験で入学している。推薦ではなく、自らの学力で合格を勝ち取ったのだ。ジャニーズ事務所(当時)に入所した直後という最も多忙な時期と、高校生活のスタートが完全に重なっていた。
「芸能活動禁止」の校則とジャニーズ事務所入所の葛藤

実は、同校は原則として芸能活動を禁止していた。活動を継続するためには、学校側との綿密な話し合いと、何よりも「学業で結果を出し続けること」が絶対条件だったという。仕事があるからといって、宿題の提出遅れやテストの欠点は一切許されない。
仕事の現場から制服のまま駆け込み、楽屋で教科書を広げる日々。深夜まで及ぶ撮影の翌朝も、彼は眠い目をこすりながら渋谷駅での乗り換えを経て等々力へと向かった。弱音を吐けば、その時点で芸能活動の道が閉ざされるかもしれないというプレッシャーが、常に彼の背中に張り付いていた。
恩師が明かす素顔:赤点ギリギリから慶應義塾大学合格への大逆転劇

順風満帆に見えた高校生活だが、現実は甘くなかった。仕事の激化に伴い、一時期は成績が急降下。赤点ラインをさまよう科目もあったという。しかし、ここで折れないのが彼の強さだった。
「絶対に慶應に行く」。その強い意志を支えたのは、嵐の櫻井翔という巨大な先達の存在だ。菊池は仕事の合間、移動のロケバスや楽屋、さらには修学旅行の夜でさえも参考書を手放さなかった。教師たちも驚くほどの集中力で遅れを取り戻し、最終的にはAO入試で見事に慶應義塾大学総合政策学部への合格を勝ち取る。この大逆転劇は、同校の進路指導室でも伝説として語り継がれている。
櫻井翔への憧れと、現在のバラエティで見せる「頭脳派」のルーツ
なぜそこまでして慶應にこだわったのか。その答えは、同じく学業とアイドルを両立させた大先輩・櫻井翔への強い憧憬にある。菊池の父親が嵐のデビュー曲『A・RA・SHI』の作詞を手がけた縁もあり、幼少期から櫻井の背中を見て育った。
単なる「おバカキャラ」のタレントでは生き残れない。知性とユーモアを兼ね備えた存在になるための土台は、間違いなくこの高校3年間で培われた。現在、多くのバラエティ番組や情報番組で見せる、彼の機転の利いたコメントや状況判断力は、あの過酷な受験勉強と厳しい校風の中で鍛え上げられた脳細胞の賜物なのだ。
2026年現在も語り継がれる、同級生たちが目撃した「普通の男の子」としての素顔
timeleszとしての新たなスタートを切り、個人としても不動の地位を築いた2026年現在。当時の同級生たちは、テレビで活躍する彼を誇らしげに見つめている。彼らが口を揃えるのは、「菊池は学校では本当に普通のやつだった」という点だ。
スター気取りはいっさいなく、休み時間にはくだらない冗談で笑い合い、購買部でパンを奪い合う。そんな「普通の高校生」でいられる場所が学校だったからこそ、彼は精神のバランスを保てたのかもしれない。多忙を極めるトップアイドルの根底には、あの等々力の坂道を息を切らして登った、泥だらけの青春時代が今も息づいている。 (出典: 菊池 風 磨 高校(Yahoo!ニュース))